濱口桂一郎『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』 抜書きとちょっぴり感想 その3
第3章 「入社」のための教育システム
1.「就職」型職業教育の冷遇
○「何の役にも立たない」者にならないための教育
p.112~113
企業側が欠員補充方式で、「必要なときに、必要な資格、能力、経験のある人を、必要な数だけ」採用するのであれば、新規学卒者には…「ある程度の必要な資格、能力を身につけているようにしておくことは、採用されやすくなるためには極めて重要なことであるはずです。新規学卒者が特定の職業に必要な資格や能力を身につけておくためには、その者が在籍していた学校で適切な教育を受けて、それらを取得しておくという仕組みがもっとも自然です。
そのような仕組みが職業教育というものです。…
…ジョブ型社会では、新規学卒者が「さしあたっては何の役にも立たない」者にならないように、学校教育制度の中に特定の職業に必要な資格や能力を身につけるための課程が設けられることが普通です。
○教育の職業的意義(レリバンス)とは?
p.114~115
これを言い換えれば、教育が仕事に役立つようなものであるようになっているということになります。このことを、教育社会学の用語で「教育の職業的意義」といいます。
一言でいえば、高校教育にせよ、大学教育にせよ、日本社会における教育の職業的意義は極めて低いものとなっています。
○職業教育冷遇化の推移
p.115~118
このような職業的意義を軽視する教育の在り方は、しかしながら、政府が一貫して進めてきたというわけではありません。意外に思われるかもしれませんが、かつて高度成長期までの日本政府は、職業教育を熱心に唱導していたのです。
…1960年代の教育政策では、職業教育の重点化、多様化が推進されたのです。
しかしながら、現実の社会はそれとは全く逆の方向に進んでいきました。1970年代以降は、職業教育は質的にも量的にも後退の一途をたどっていくのです。
本田氏はその理由として2つの点を挙げています。1つは、それまで同一労働同一賃金原則に基づく職務給を主張していた経営側が、職務遂行の力に基づく職能給に舵を切ったことに示されるような、日本型雇用システムの定着です。
今1つの理由は、1960年代に急速に進んだ新規中卒者の激減と、高校進学者の急増が、中卒=ブルーカラー、高卒=ホワイトカラーという学歴と職務の対応関係を崩壊、混乱させ、新規高卒者のブルーカラー職への採用が増大したことです。
…職能給のような職務を明確にしない日本型雇用システム自体が、教育の現実によってもたらされた面があるという説明です。
…学校で何を学んだか、何を身につけたかは就職時に問題にされず、偏差値という一元的序列で若者が評価される社会がやってきました。本田氏のいう教育の職業的意義の欠如したシステムです。
【感想】
「日本型雇用システム自体が、教育の現実によってもたらされた」という説明は斬新であり、驚きだった。順序が逆、即ち、前段で述べられているように、日本型雇用システムが、教育の非職業教育化を要請した、という側面のみで理解していたからだ。
偏差値による評価が教育の職業的意義の欠如したシステム、と言われるのは、なるほどその通りである。
2.「地頭がいい」人材を提供するだけの学校教育
○「入社のための普通教育」
p.119
…企業はもはやつれない教育界に対して人材養成をお願いする立場ではありません。企業内人材養成に耐えうる「地頭がいい」人材を提供してくれればそれでよいのです。…
はっきり言えば、学校は余計なことをせずに、優秀な素材を優秀な素材のままに企業に手渡してくれれば、後は企業がOJTできちんと育てていく、という発想です。
○学校と社会を貫く一元的能力主義
p.119~121
こうして生み出されたのが、学校教育と社会を貫く一元的能力主義です。
それを象徴するのが1970年代に教育界に広まった偏差値です。
…いたずらに膨れあがった文科系大学底辺校も同様の機能を果たすようになります。なぜなら、そういう学校は優秀でない素材にもともと意味のない教育を施しただけなのですから、何ら付加価値は増えていないからです。
…教育界は、この多様性なき一元的序列付けという社会的根源には何ら触れることなく、偏差値が悪いとか、心の教育とか、ゆとりだとか、見当外れの政策を行き当たりばったりに試みるだけでした。
【感想】
裏から読めば、「教育界は一元的序列付けという社会的根源を見極め、この根源に対応するような政策を打ち出すべきだった(のに、しなかった)」となる。教育界の人々には痛い指摘だろう。しかし、一元的序列付けが(日本型雇用システムの定着によってもたらされた)社会的要請だったとするならば、いったい教育の側からどのようなアプローチが可能だったのか、という疑問は残る。
3.教育費は誰が払う?
○教育費を公的負担するジョブ型社会
p.123
問題は大学です。ヨーロッパの多くの国では、大学の授業料も原則無料です。それに対して、授業料が無償化されていない国々でも、大体給付型の奨学金によってまかなえるようになっており、日本のような貸付型…が原則という国はほとんどありません。
【感想】
第1に、ヨーロッパの多くの国については分かったが、ではアメリカは?という疑問が生じる。アイビーリーグに属するような大学では、授業料が高額であり、また給付型奨学金についても熾烈な競争がある、と聞いたことがあるが、この真偽や如何?
第2に、ヨーロッパの多くの国では大学の授業料も原則無料とのことだが、これらの国々で大学進学率はどの程度になっているのだろうか。もし少なからぬ若者が大学に進学せずに高校相当の教育までで就職するとすれば、それは何故だろうか。何故無料の大学に進学しないのか、ということである。「勉学に向いていないのであれば、大学に進学しなくともそこそこ幸せな職業生活を送れる社会である」からなのか。
○教育は親がかりのメンバーシップ型社会
p.123~124
…日本人にとっては、生徒や学生の親が、子供の授業料をちゃんと支払える程度の賃金をもらっていることが、あまりにも当たり前の前提になっていた…
…公的な教育費負担が乏しく、それを親の生活給でまかなう仕組みが社会的に確立していたことが、子供の教育の職業的意義を希薄化させた一つの原因というわけです。
…日本型雇用システムにおける生活給と、公的な教育費負担の貧弱さと、教育の職業的意義の欠乏の間に、お互いがお互いを支えあう関係が成立していたわけです。
【感想】
「お互いがお互いを支えあう関係」であれば、どれか1つを変えようとする場合、他の2つも変える必要があることになる。即ち、教育の職業的意義の欠乏を解消するためには、公的な教育費負担を増やし、生活給に頼らない教育費の負担のあり方を追求しなければならなくなる。この方策が民意に迎えられるだろうか。教育は公共財であり、社会が支えるべきものである、そうであるならば(所得や社会保障だけでなく)教育も再分配政策の恩恵を受けるべきものである、という考え方が人口に膾炙しなければ、難しいのではないか。
4.職業的意義なき教育ゆえの「人間力」就活
○「社員」の選抜基準
p.126
1つの割り切りは、新規学卒者の「能力」の代理指標としてその学歴水準それもどのランクの大学に入れたか、ストレートにいうと、どのランクの大学にしか入れなかったか、という指標を採用するという考え方です。
○ジョブ型社会の「職業能力」就活
p.127~128
欧米では、一部の有名大学を除けば入学するのはそんなに難しくはありませんから、…卒業を迎える頃には同期の学生がだいぶ減っているというのが普通ですから、卒業証書こそがその人の能力を証明するものだと一般的に考えられています。
そして、ここが重要なのですが、その能力というのは、日本でいう「能力」、つまり一般的抽象的な潜在的能力のことではなく、具体的な職業と密接に関連した職業能力を指すのです。
こういう社会では、言葉の正確な意味でのもっとも重要な就「職」活動は、必死で勉強して卒業証書を獲得することになります。
○メンバーシップ型社会の「人間力」就活
p.130
…90年代以降かなり急速に進んだ大学進学率の上昇と、日経連の『新時代の「日本的経営」』(1995年)を大きな画期とする「入社」システムの縮小の中で、「ほぼ間違いなく全員が自分の就職先を見つけ出すことができるようにな」るという前提までが崩れてくると、…あいまいな基準でどこにも「入社」先を見つけられないという事態があちらでもこちらでも発生してくるようになります。そして、そういった「人間力」による採用選考の在り方自体が問題意識に上ってくるようになったのです。
この「人間力」という言葉は、2000年代に入ってから文部科学省や内閣府の政策文書に登場するようになった言葉ですが、…本田由紀氏は、…「ハイパー・メリトクラシー」と呼んでいます。…日本の文脈ではむしろ1969年の『能力主義管理』で掲げられた「いかなる職務をも遂行しうる潜在能力」に極めて近いものであることが重要です。
ここは大変入り組んでいて、理路を解きほぐすのがなかなか難しいのですが、もともと日本の企業では、そういう「人間力」というのは、「入社」してから上司や先輩の指導の下でOJTを繰り返していくことでじわじわと身につけていくものであって、それゆえ「社員」の人事評価においては極めて重要な基準ではあったとしても、「入社」を決定する時点でそれほど高い「人間力」を求められるような厳格な基準ではなかった、というのが重要なポイントでしょう。
労働社会全体としては日本型雇用システムが変容していき、「社員」の範囲が縮小するようになっていって初めて、それまで「入口」段階ではそれほど決定的な重要性を持たなかった「人間力」が、それによって「社員」の世界に入れるか否かが決定されてしまう大きな存在として浮かび上がってきた、というのが、90年代以降の実相なのではないかと思われます。
【感想】
「人間力」という気持ち悪く個人的には忌避してきた言葉が、政策文書にも取り上げられていると知って大いに驚いたとともに、文部科学省や内閣府(の中の人)は一体どのような明確な定義でかかる言葉を用いたのか、問い質したくなった。更に個人的ではあるが、「人間力」なる言葉を掲げて採用活動を行っている企業には、後輩に対し決して「入社」を勧めたくない。
5.「人間力」就活ゆえの職業なき「キャリア教育」
○「キャリア教育」の登場
p.132~133
「キャリア教育」というのは奇妙な言葉です。
…大きく分ければ、職業観・勤労観といった職業意識に関する教育と、職業に関する知識や技能を身につけさせるという、文字面だけでみればまさに職業教育そのものであるようなものからなっているように見えます。
ところが、日本で過去十数年間熱心に取り組まれてきたキャリア教育とは、…特定の職業を前提としない、前提にしようとしてもしようがない、そうした社会で育ってきた生徒や学生に対して、具体的な職業というよりどころの全くないまま、ただ「望ましい職業観・勤労観」や「職業に関する知識や技能を身につけさせる」ことを求めてきた概念です。ジョブ型社会から見れば、ほとんど冗談にしかとれないような空疎な「キャリア教育」です。
○一般的職業教育の復活?
○就活スキル教育
p.135~137
より深刻なのは、いかなる具体的な職業も前提にしないまま行われる、「職業に関する知識や技能を身につけさせる」キャリア教育です。
一言で言えば、就活の場で企業にいい印象を持ってもらうことができるためのスキルを身につける教育です。
しかしながら、所詮OJTで長期にわたって観察するのではない以上、就活時点で示される「人間力」など大したものになるはずはありません。コミュニケーション能力だの、積極性だの、協調性だの、強調すればするほど、本の題名ではありませんが『就活のバカヤロー 企業・大学・学生が演じる茶番劇』(石渡嶺司・大沢仁著、光文社新書)といいたくなるでしょう。
しかし、それはまだ「社員」になったら否応なく必要になる能力なのだからやむを得ないと考えることもできます。もっと奇妙なのは、「社員」になった後にはもはや何の意味もなくなるのにもかかわらず、近年の就活ではあたかももっとも重要なポイントであるかのごとく強調されている「自己分析」なるものです。
【感想】
「コミュニケーション能力」も大嫌いな言葉だが、本書との関連で最近目にした次の記事を思い出した。
「コミュ力」って何だろう? 取り違える就活学生が急増
産経新聞 8月20日(火)6時25分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130820-00000500-san-bus_all
以下一部引用する。
経団連が毎年発表している「選考時に重視する要素」によると、企業が学生に求める力1位は「コミュニケーション能力」。今年はまだ発表されていませんが、なんと9年連続1位。就職活動の時期になると、各社揃って「弊社はコミュニケーション能力のある人材を求めています」と、説明会で話しているのを耳にすることが増える。なぜ各企業が「コミュニケーション能力」をそこまで重視するのか。
…私は、「コミュニケーション能力」とは、「相手と会話のキャッチボールが違和感なくできるかどうか」に尽きると思う。さらに、「コミュニケーション能力」は下記の3つに分類されると考える。
(1)話す力 …
(2)聴く力 …
(3)読む力 「読む力」とは、相手が聞いてくる質問の意図や背景を理解する力のことである。(2)と同様に、この「読む力」も弱い学生が多い。就職活動で例えるのであれば、面接の際に質問される内容を適切に理解しないで、聞かれたままを答えてしまう学生が多い。例えば、「あなたは周りの人からどのような人だと言われますか?」という質問に対して、「優しい人だと言われます」「面白い人だと言われます」と答える就活生も少なくない。面接官はこの質問の中で、「集団の中でどのような役割を担っているか?」ということを聞きたいにも関わらず、「優しい」などの回答であると拍子抜けを食らうことがある。伝えることに懸命になりすぎて、相手が欲している質問の意図を読み取ることができないのだ。…
…就職活動において、企業研究や自己分析などは無論重要であるが、それよりももっと先に基本的なコミュニケーションを訓練することから始める必要があるだろう。(「内定塾」講師 水本幸太郎)
こんな決死の跳躍を強いるような「読む力」なんぞ、くそくらえである。勤務先の採用活動がこんなことを求めていないよう、切に望むものである。
6.教育と職業の密接な無関係の行方
p.137
受けた学校教育が卒業後の職業キャリアに大きな影響を与えるという意味では、両者の関係は極めて密接です。しかしながら、学校で受けた教育の中身と卒業後に実際に従事する仕事の中身とは、多くの場合あまり(普通科高校や文科系大学の場合、ほとんど)関係がありません。これを…本田由紀氏は「赤ちゃん受け渡しモデル」と呼んでいます。
…その回路からこぼれ落ちる若者が大量に発生するという事態の中で、単なる弥縫策ではなく、雇用システムと教育システムの双方で本質的な解決を図る必要性が浮き彫りになってきました。
雇用システムの側における議論は次章以降で行いますが、それは必然的に教育システムの側に跳ね返ってきます。具体的には、現在の大学、とりわけ量的に大部分を占める文科系大学の在り方に対し、抜本的な見直しを要求することになるはずです。…
今までの「素材はいいはずですから是非採用してやってください」という受験成績による素材の保証主義ではなく、「これだけきちんと勉強してきた学生ですから、それは保証しますから、是非採用してやってください」というあるべき姿に移行するためには、大学教育の中身自体を職業的意義の高いものに大幅にシフトしていく必要があるでしょう。
【感想】
実に明快な論旨であり、全く付け加えることがない。故に以下は蛇足であり、個人的述懐である。
私は「受験成績による素材の保証主義」に恩恵を受けた側の人間であると自覚している。そして人は自分の受けた教育に意味を見出したがるものだと思う。私もその呪縛からは逃れられない。私の受けた大学教育は、確かに職業的意義には乏しいものだった。しかし一方で、多職能ホワイトカラーになるための教育としては、意義のあるものだったとも思う。即ち、リベラル・アーツを掲げる後期課程では1学年100人程度の学生で、大量の常勤・非常勤講師陣により受講する多くの授業は10人以下という恵まれた教育環境であった。特にマスプロに慣れた非常勤講師陣はかような環境をとても気に入ってくださったようで、タイトルが●●特殊講義であったとしても、「こんなに受講人数が少ないのであればゼミにしましょう」と仰り、結果として1週間の多くの授業はゼミになった。更にその結果、毎週膨大な資料(英語文献も多数)を読み込み、レジュメを切った。授業では発表の後、討論の時間があって、「しゃべれ話せ付加価値を増せ然らずんば死ね」「討論に加われないのであれば貴様は無だ」と言わんばかりの雰囲気の中、チャレンジしてはいなされるという経験を散々積まされた。あの日々が今の私を、少なくとも知的に踏み止まるという意味においては、支えていると実感する。この実感を本書の中でどのように位置づければ良いのだろう。つまるところ「幸福な学生生活だったのですね」で終わることになるのだろうか。
…続きは明日以降に。
(しかし、そうは言ったものの続きはどうしたもんですかね。hamachanブログ http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-d137.html でご紹介いただいたおかげで当ブログとしてはアクセス数が伸びてしまい、このまま抜き書きを続けると気に入った新刊の備忘録の域を超えて、新刊書の売行きを妨害しているような気もしているのですが。まあアクセス数も落ち着いたことだし、このまま各章の抜き書き&ちょっぴり感想を続けても良いのでしょうかねえ…迷います。)
濱口桂一郎『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』 抜書きとちょっぴり感想 その2
第2章 「社員」の仕組み
p.82~83
…若いうちはたくさん働いても低い給料しかもらえないのに、中高年社員はそれほど働いているようには見えないのにもかかわらず、高い給料をもらっていて不公平じゃないか、と、近年「若者の味方」と称する人々から非難を浴びている年功賃金制…
【感想】
「若者の味方」と称する人々といえばじょ(ry。ともあれ、所謂「年功賃金制」とは、長期雇用・生活給を前提とした賃金の長期後払い制度と理解すべきところ。わりと常識的だと思うのだが、一般の理解はそうでもないのだろうか。
1.定期昇給は何のため?
○定期昇給制度の不思議
p.82
定期昇給制度は、1年のうちの特定の時期に、全従業員の賃金を一定額ずつ引き上げるというものです。マスコミ報道などではごっちゃにされることもありますが、これは労使交渉によって決まるベース・アップとは別物です。企業の賃金制度として自動的に賃金の引上げを行うところにその特徴があります。…
○仕事と対応する賃金制度
p.84~85
欧米諸国では、企業組織というものが「仕事」を中心に成り立っています。その1つ1つの「仕事」について、仕事の内容、範囲、権限、責任などが明確に定められているのと同様に、それに対する報酬も明確に定められているのです。…
一言で言えば、欧米諸国では、1つ1つの職業について、その職業を遂行する知識、経験、能力を兼ね備えた一人前の労働力に対する職種別の賃金が決まっているのです。…採用が欠員補充方式ですから、企業の中のすべてのポストが企業への「入口」になり得るので、企業外部の労働市場においてそのポストの「値段」が決められることになります。これを職務給といいます。
【感想】
海外のローカルの採用と言えば、つきものなのが"Job Description"。まさに「仕事の内容、範囲、権限、責任など」を明確に定めるものである。実務感覚に即している。
○仕事と対応しない賃金制度
p.85~86
これに対して日本では、…賃金も「仕事」を中心に決められるのではなく、「人」を中心に決められることになります。…
…「人」につけられた賃金の決め方がいわゆる年功賃金制といわれるものですが、それは一言で言えば、初任給プラス定期昇給という形で決められます。…日本では企業への入口は基本的に新規学卒就職時に限られる傾向にありますから、ほかの会社と比較可能な賃金水準というのは、基本的に新規学卒労働者の初任給に限られます。この初任給だけは、新卒労働市場という企業外部の条件の影響を強く受けて決められることになります。しかし、それ以降の賃金は、この初任給をベースにして、その上に企業内部の定期昇給という独自の条件を上積みしたものとして決定されていきます。
【感想】
労組役員として広義の賃上げに関わった経験からすると、若干違和感がある。「年功賃金制」という術語への違和を措くとしても、入社後の給与水準について、労組として特に拘りを持っていたのが「全産業平均に対して優位」ということと、「同業他社の賃金カーブとの隔たり」ということの2点であった。つまり、「企業外部の条件の影響を強く受けて決められる」のは、初任給に限ったことではない、ということ。ただし、「強く受けて」という記述に鑑みれば、やはり本書が正しいのかもしれない。また、「それ以降の賃金は、この初任給をベースにして、その上に企業内部の定期昇給という独自の条件を上積みしたもの」という記述は全面的に正しい。
○年功賃金制の発達
p.87
…定期昇給制…が中小企業も含めて広く適用されていくきっかけは、戦時体制下の賃金統制でした。初任給の額を統制し、内規に基づく昇給のみを認め、さらに男女別、年齢別による賃金統制も行われるようになったのです。
その背後にあった思想としては、…生活給思想が挙げられます。…家族を扶養する必要のない若年期には高給を与えても本人のためにならず、逆に家族を扶養する壮年期以降には家族を扶養するのに十分な額の賃金を払うようにすべき…
戦後、こうした賃金統制がすべて廃止されたにもかかわらず、労働組合の運動によって生活給思想はほとんどそのまま受け継がれました。…
…「職務遂行能力」というのは、実際に従事している具体的な職務とは切り離された、いかなる職務をも遂行しうる潜在能力を指します。ですから、メンバーシップ型の人事管理と極めて適合的なのです。これを職能資格制度に基づく職能給と呼びます。
【感想】
メンバーシップ型雇用制度と職能給との牽連性に係る説明が鮮やか。これに年齢給を加えて基本給とし、更に地域手当、扶養手当、別居手当、通勤手当などの属人的な諸手当を加えれば、年功賃金制の枠組みができあがる。
2.時間と空間の無限定
○労働時間は無限定
p.89~91
…メンバーシップ型雇用契約で限定されていないのは職務だけではなく、働く時間や空間も限定されていない…
…最高裁は、就業規則と三六協定がある限り、労働者は労働契約に定める労働時間を超えて労働する義務を負い、残業命令に従わない労働者を懲戒解雇しても構わないとお墨付きを出しているのです。
…極端な言い方をすれば、日本には物理的な意味での労働時間規制はほとんど存在せず、労働時間に関わる賃金規制があるだけだとすらいえるのです。
【感想】
本書は基本的に大学生でも読めると思うのだが、ときどき出てくる「三六協定」などの術語にとまどうかもしれない。必要に応じてgoogleを使いながら読むことが推奨されよう。
○いざというときのクッションとしての残業
○自分の仕事と他人の仕事のあいまいさ
p.92~93
…そもそも日本の職場では、ある一時点だけをとっても「あなたの仕事はこれこれ」というふうには明確には定まっていないのです。
…むしろ、個々の部署の業務全体が、人によって責任の濃淡をつけながらも、職場集団全体に帰属しているというのが普通の姿でしょう。自分の仕事と他人の仕事が明確に区別されていないのです。
…「社員」の辞書に、「それは私の仕事ではない」という言葉はないのです。
【感想】
この「明確に区別されていない」ということが、巷間日本人論に頻出する「自我の境界があいまいである」ということと相似形であるように感じる。
○転勤は拒否できない
p.93~94
配置転換という言葉には、職務を変更するという意味と勤務場所を変更するという意味の2種類があります。…後者、つまり空間的な異動に原則として制限がないというのも日本の特徴です。
【感想】
然り。ただし、コース別人事管理の下で、総合職については転勤無制限としているのに対し、一般職については原則として転勤させないとしているのもごく普通であろう。従って、本書は総合職を念頭においていると考えてよいのであろう。
それにしても、これらの「時間と空間の無限定」ということから、どうしても天皇制を想起してしまう。天皇制は、言ってしまえば時間の管理を元号で、空間の管理を空虚な中心で行おうとするものだと理解している。大掴みな日本的雇用慣行とは、天皇を会社に置き換えたものと言い得るのだろうか。
3.社内教育訓練でスキルアップ
○公的教育訓練中心の仕組み
p.95~96
…欧米諸国…労働者がその「仕事」のスキルをちゃんと身につけているということが採用の大前提になります。
では、労働者はどこでそのスキルを身につけるのか。採用される前なのですから、企業の外であることは間違いありません。
○社内教育訓練中心の仕組み
p.97~98
…日本社会では、…「人」が先にあり、その人にすぐできるとは限らない「仕事」を当てはめるというやり方ですから、その「仕事」のやり方を社内で学ぶという仕組みがなければ、うまく回っていきません。つまり、仕事に関する教育訓練の仕組みが、社内教育訓練中心の仕組みにならざるを得ないということです。
その教育訓練のやり方としては、…職場で上司や先輩の指導を受けながら実際に作業をやっていって、そのスキルを身につけるOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)というやり方があります。現在の日本では、…圧倒的にOJTが中心です。
…上司や先輩の仕事にある程度の時間の余裕がなければ、部下や後輩のOJTの面倒をきちんとみてあげられないということも起こりうるわけです。
【感想】
「上司や先輩の仕事にある程度の時間の余裕がなければ、部下や後輩のOJTの面倒をきちんとみてあげられない」→まさにその通り。一部正社員の負荷が大きくなりすぎ、教育訓練が疎かになってしまう、という職場もかなりあるのではないか。
○教育訓練としてのジョブローテーション
p.98~99
もう一つ重要なことは、…定期人事異動方式がOJTによるスキル習得と組み合わされることによって、さまざまな仕事のスキルを身につけていく仕組みになっているということです。これをジョブローテーションといいます。
社内教育訓練でスキルアップできるという仕組みは、それがうまく回っている限り、…企業の外側の教育訓練施設に通って、自前でコストを負担する必要がない、という点で、とりわけスキルのない若者にとっては、間違いなくメリットのある仕組みであったことは確かです。
【感想】
一方で、「自己啓発」の名の下に、OJTではない自己能力開発が求められている傾向があろう。
(追記:…と思ったら、第5章第3節p.183でちゃんと自己啓発についても触れられていました。ごめんなさい。)
4.リストラは周辺部と中高年から
○陰画としての非正規労働者
p.101
田中博秀氏が「新規学卒就職希望者は…ほぼ間違いなく全員が自分の就職先を見つけ出すことができるようになっている」と描写した時代においては、非正規労働者というのは、主に家事を行いながらそのかたわら家計補助的に就労する主婦パートか、主に通学して勉強しながら小遣い稼ぎ的に就労する学生アルバイトと相場が決まっていました。
彼らはその夫や父親の扶養家族であることが前提なので、生計費を恒常的に稼ぐ必要は基本的にないものと一般に思われていました。ですから、彼らに対する人事管理、賃金管理は会社の「メンバー」である「社員」たちに対するそれとは全く逆になります。彼らは、特定の具体的な「仕事」を定めて雇われます。多くの場合、それは単純労働的な仕事で、雇用契約は期間を定めたものであることが一般的です。
○日本型フレクシキュリティ
○リストラの標的としての中高年
p.107
ここでセニョリティという言葉が出てきました。…欧米でそれを解雇される順番(正確に言えば解雇されない順番)に用い、日本ではそれを職務とは切り離された賃金の決定に用いるわけです。
5.若者雇用政策の要らなかった社会
欧米では、学校を出たばかりのスキルもない若者は、欠員補充に応募しても経験豊富な中高年失業者にとられてしまい、仕事に就けずに失業するのが当たり前であるのに対して、日本では何の経験もスキルもない「まっさら」な人材であることがむしろ高く評価されて、「社員」として「入社」できるのが当たり前であったのです。
…だから、若者雇用政策などというものは存在する必要がなかったのです。…
スキルのない若者が大量に失業する欧米社会では、何よりも重要な政策は彼らが仕事に就けるように、その仕事に必要なスキルを付与することになります。つまり、若者雇用政策の中心は、何よりも公的な職業教育訓練を大々的に行い、できるだけ多くの若者が企業の欠員募集に応募したら採用されるようなスキルを身につけられるようにすること、…日本では、そのような政策は、もっとも不要とされました。
なぜなら、「入社」するためには下手な職業経験など積んでスキルを身につけているよりも、会社に入ってから上司や先輩の指導を受けながらOJTでスキルを身につけていけるような「いい素材」であることの方が遥かに重要だったからです。…
【第2章感想まとめ】
★定期昇給制度と職能給制度、これらと異なる職務給制度が背景も含め丁寧に説明されており、分かりやすかった。
★「時間と空間の無限定」については、実務感覚と合致する一方、ここで一般職についての説明があっても良かったかな、と思った。その説明では、一般職について、「家計維持者ではないとみなされ、かつ補助的な業務に従事するので、雇用は保証されるものの総合職よりも賃金が抑えられた不完全なメンバーシップの『社員』」とされるのだろうか。
(追記:…と思っていたら、第7章第3節「『一般職』からジョブ型正社員へ」の中で、一般職が肯定的にとらえ返されていました。ごめんなさい。)
★「社内教育訓練でスキルアップ」については、OJTがメンバーシップ型雇用からコロラリーとして導出されるという点の説明が鮮やか。
★「リストラは周辺部と中高年から」については、非常時にメンバーシップ型雇用契約の「社員」を守るため、職務に従事する者、即ち「メンバー」ではない非正規雇用者から雇止めが行われるという適示が明快。一方で、中高年労働者がリストラ策において主として標的とされるのは、「会社側からみれば極めて合理的な行動」という説明に首肯しつつ、中高年労働者側からみれば、後払いの賃金が支払われないという形で期待利益を剥奪する仕打ちであることも記されているとより良かった。
…続きは明日以降に。
濱口桂一郎『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』 抜書きとちょっぴり感想 その1
第1章「就職」型社会と「入社」型社会
1.「ジョブ型」社会と「メンバーシップ型」社会
p.29~p.30
…「人」と「仕事」の結びつけ方を決める決め方には、大きく分けて2つの異なったやり方があります。
第1のやり方は「仕事」の方を厳格に決めておいて、それにもっともうまく合致する「人」を選定するやり方です。
第2のやり方は、まず「人」を決めておいて、「仕事」の方はできるだけ緩やかに、それを担当する「人」の持ち味をできる限り発揮できるように決めていくというやり方です。…
p.33~34
これに対して日本では、…多くの労働者がぶら下げているレッテルは、私はこの「仕事」がこのくらいできますというレッテルではなく、私は何々という会社の社員ですというレッテルです。
これは先に述べた「人」と「仕事」を結びつける第2のやり方、つまり「人」の方を先に決めるやり方に由来するのです。…就く可能性のある様々な「仕事」について、はじめはおぼつかなくても仕事をこなす中でできるようになっていく潜在能力があるかどうかという点です。つまり、「仕事」よりも「人」の特性の方が重要なのです。
p.35
すなわち、「仕事」をきちんと決めておいてそれに「人」を当てはめるというやり方の欧米諸国に対し、「人」を中心にして「管理」が行われ、「人」と「仕事」の結びつきはできるだけ自由に変えられるようにしておくのが日本の特徴だということです。
【感想】
「人」と「仕事」の結びつけ方について、「仕事」が先に立つ欧米型と、「人」が先に立つ日本型の違いとが、平易かつ簡明にまとめられている。
2.どのように会社に「入る」のか
○新卒定期採用方式というユニークなやり方
○欧米諸国の欠員補充方式
p.40
欧米諸国の企業における人の採用のやり方の原則は、「必要なときに、必要な資格、能力、経験のある人を、必要な数だけ」採用するということにあります。
○欠員補充方式の具体的なやり方
p.42
…欧米で一般的な欠員補充方式では、社内でまかなえない欠員が出て初めて採用が行われるのです。
○「入口」を特定するかしないか
p.42~43
日本の新卒定期採用方式では、企業への「入口」が新規学校卒業時という特定の時期と年齢層に限定されているのに対して、欧米諸国の欠員補充方式では、「『入口』が企業組織のどこにでも、そしていつでも誰に対しても開かれている」という点で全く異なります。
【感想】
欧米では「仕事」が先にありきということはぼんやりと知っていたが、欠員補充方式の具体的なやり方を初めて知った。ありがたい。
一方で、現在勤務先で行われている所謂「中途採用」では、「どこにでも、いつでも誰に対しても開かれている」というわけではないが、先に求人募集の要件(例:●●という業務の経験者)が定められており、かつ概々の労働条件の「枠」が示される。そして、その採用は第一義的には当該業務の担当部門が判断している。人事部は、そうして採用内定した中途採用者を、職能資格等級のどこに位置付けるかにつき判断している。つまり一応は「仕事」が先にありきで、その後で「人」につき判定される。更に、処遇の詳細については、中途採用者とのネゴが行われる。
このことは、「新卒定期採用方式」と矛盾しない。中途採用が「新卒定期採用方式」の例外として処理されるのであろう。
3.日本の法律はジョブ型社会が原則
○働く人は「社員」ではない
p.50~51
…雇用労働者も請負人も受任者も、使用者や注文者や委任者と同じ団体のメンバーとして働くのではなく、それぞれとの取引関係に基づいて働くということが、最大の共通点です。つまり、雇用契約は法律上においてはメンバーシップ契約ではないのです。
日本の現実はメンバーシップ型で動いているけれども、日本の法律は欧米と同様のジョブ型社会を前提に作られている。この事実を、ここで頭に入れておいてください。
○労働法もジョブ型で作られている
p.54~55
…ここでも重要なことは、「団体交渉」というのは、同じ会社という団体のともにメンバーである使用者側と労働組合側とが、その団体の内部で交渉するという意味では全くないということです。…
…この「団体」というのは、主として労働組合という労働者の集団のことを、場合によっては使用者団体という使用者の集団のことを指しており、個別の労働者(や使用者)ではなく集団としての労働者(や使用者)が取引の主体になるという意味なのです。ということは、別の面から見れば、労働組合というのは企業と取引関係にある雇用労働者のカルテル(事業者間で価格や数量を協定すること)ということもできます。
【感想】
勤務先の企業内労働組合の役員を務めていた折、長時間労働の適正化に取り組んだ。主たる活動は、三六協定の締結状況を洗い出して、会社側に対し、ライン管理者の部下の時間管理を適正化するよう要求し、実践状況の報告を求めるというものだった。一方で、組合員の中でサービス残業をしている者を呼び出して、これをやめさせるという取り組みも行った。その取り組みの中で、私はかかる組合員に対し、サービス残業は労務供給価格のダンピングだ、と説得したことを覚えている。あながち間違いではなかったのかもしれない。
○職業紹介は「職業」を紹介することになっている
4.「入社」型社会はどのように作られた?
○「メンバーシップ型」という言葉の出所
○「就社」より「入社」
○確立以前
○新卒定期採用制の形成
○戦時体制下の採用統制
○新規中卒者の定期採用制度
○新規高卒採用制度の確立と変容
p.66
新規高卒採用制度の特徴は、高校と企業との継続的な取引関係の中で、企業はよい労働力を安定的に確保でき、高校はよい就職先を安定的に確保できるという相互にメリットのある「実績関係」の上に成り立っていることです。この関係を維持するために、高校生の就職では、学校の推薦で1社のみ応募する1人1社制が守られました。
ところが1990年代からこのメカニズムがうまく機能しなくなりました。景気後退に加えて大卒者の増加により新規高卒者への求人が激減したのです。その中でも工業高校など専門高校にはまだ前記のような伝統的モデルが残っていますが、普通科高校の非進学者などは自由市場に投げ出されてしまい、その結果かなりの高卒者が非正規労働力に呑み込まれていきました。
彼らこそいわゆる就職氷河期世代、ロストジェネレーションといわれる人々の中心です。…
【感想】
ここまでの歴史的概観は非常に面白い。特に戦時体制下の採用統制については初めての知見であった。この部分と赤木智弘氏の「希望は戦争 丸山真男をひっぱたきたい」との関連が説明されればもっと良かった。ないものねだりではあるが。
○大卒者の増大と学卒労働市場の変容
p.67~68
かつての中卒者のように職安が介在しているわけでもなく、高卒者のように高校が介在しているわけでもないのに、企業は学生の採用基準を具体的なジョブに対応する職業能力ではなく、大卒者としての一般的能力に求めました。新規高卒採用制度とともに確立した単一職能資格制度の下においては、もはや大学で具体的に何を学んだかは対して意味を持たず、大学の銘柄に示される大学入試時の学業成績こそが、入社後の教育訓練に耐えうる「能力」を指し示すものとして主たる関心の対象となったのです。
ところが1990年代以降、経済の停滞の中で正社員雇用が縮小し、その影響で新規学卒者の採用枠が急激に縮小しました。一方で文科系学部を中心として大学定員の拡大は続いたため、大学を卒業しても正社員になれない若者たちが「フリーター」として大量にあふれ出したのです。
5.法律と現実の隙間を埋めるルール作り
○現実に合わせるために
p.68~69
そこで日本の裁判所は、さまざまな事件に対する判決を積み上げる中で、解雇権乱用法理や広範な人事権法理など、判例法理といわれるルールを確立してきました。それは、ジョブ型雇用契約の原則に基づく法体系の中で、現実社会を支配しているメンバーシップ型雇用契約の原則を生かすために、信義則や権利濫用法理といった法の一般原則を駆使することによって作られてきた「司法による事実上の立法」であったといえます。
そして、これら判例法理が積み重なり、確立するにつれ、日本の労働社会を規律する原則は、六法全書に書かれたジョブ型雇用契約の原則ではなく、個々の判決文に書かれたメンバーシップ型雇用契約の原則となっていったのです。
○「入社」を拒否することは違法でない
p.72~73
しかしながら、日本の最高裁判所は1973年の三菱樹脂事件判決において、信条を理由として雇入れを拒否することを違法でもなければ公序良俗違反でもないと容認しました。…
ここに表れているのは、特定のジョブにかかる労務提供と報酬支払いの債権契約ではあり得ないような、メンバーシップ型労働社会における「採用」の位置づけです。それは、新規採用から定年退職までの数十年間同じ会社のメンバーとして過ごす「仲間」を選抜することであり、その観点から労働者の職業能力とは直接関係のない属性によって差別することは当然視されるわけです。
【感想】
学生運動を理由として本採用を拒否された事例は知っていたが、これを是とする理路は初めて知った。勉強になる。
○内定者は労働者である
p.73
現在の最高裁の判例法理では、採用内定はそれ自体が労働契約の締結であり、内定者は労働者であるということになっているのです。
p.76
いったん付与したメンバーシップの剥奪に対しては大変慎重な姿勢で臨んでいるわけです。…
6.周辺化されたジョブ型「就職」
○ハローワークは誰のためのもの?
○「就活」は「職探し」に非ず
【第1章の感想】
★「ジョブ型」社会と「メンバーシップ型」社会との違いが鮮やかに示されている。
★会社への「入り方」に関し、欧米の欠員補充方式の具体的なあり方が良く分かり、初めての知見を得られて嬉しい。
★「入社」型社会の来歴が手早くまとめられているが、戦時統制下における展開につき、もう少し詳しい記述が欲しかった。
★日本の労働法体系における判例法理の位置づけが明快である。「司法による事実上の立法」と喝破している点は白眉。
…続きは明日以降に。
晩夏の風
夜風が既に涼しくなっている。気持ちいい。
今日の1品
ゴーヤの梅サラダ
1.ゴーヤを半分に切って種をとり、更に半円形に切って塩茹でする。
2.梅干しの果肉多めとごま油少々で和える。
いただきました。簡単でおいしい。
夏真っ盛り!
みかんミルクのかき氷。天然氷というだけあって、美味しかった。
先祖代々の墓がある地方都市に赴いた。今更ながら、AEONの大きさに驚いた。まさに「スーパーマーケット」。ここにくれば何でもある。ここ以外には何もない。車がなければ生活の基盤が成立しない。田園風景の中の巨艦を見て、おそろしい地方都市だと思った。
結果を出すためには「質」よりも「量」をこなして学習することが重要
http://gigazine.net/news/20130813-prioritize-quantity-than-quality/
「つまり、一度で完璧なものを作ろうとせずに、完璧でなくても毎日何かを作り続けることでいい結果を導き出せるとのことです。」
全くだ。胸に刻もう。
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いつまで、また何を書き続けられるか分からないけれども、取りあえず登録してみた。できることを、できる範囲で。