濱口桂一郎『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』 抜書きとちょっぴり感想 その2
第2章 「社員」の仕組み
p.82~83
…若いうちはたくさん働いても低い給料しかもらえないのに、中高年社員はそれほど働いているようには見えないのにもかかわらず、高い給料をもらっていて不公平じゃないか、と、近年「若者の味方」と称する人々から非難を浴びている年功賃金制…
【感想】
「若者の味方」と称する人々といえばじょ(ry。ともあれ、所謂「年功賃金制」とは、長期雇用・生活給を前提とした賃金の長期後払い制度と理解すべきところ。わりと常識的だと思うのだが、一般の理解はそうでもないのだろうか。
1.定期昇給は何のため?
○定期昇給制度の不思議
p.82
定期昇給制度は、1年のうちの特定の時期に、全従業員の賃金を一定額ずつ引き上げるというものです。マスコミ報道などではごっちゃにされることもありますが、これは労使交渉によって決まるベース・アップとは別物です。企業の賃金制度として自動的に賃金の引上げを行うところにその特徴があります。…
○仕事と対応する賃金制度
p.84~85
欧米諸国では、企業組織というものが「仕事」を中心に成り立っています。その1つ1つの「仕事」について、仕事の内容、範囲、権限、責任などが明確に定められているのと同様に、それに対する報酬も明確に定められているのです。…
一言で言えば、欧米諸国では、1つ1つの職業について、その職業を遂行する知識、経験、能力を兼ね備えた一人前の労働力に対する職種別の賃金が決まっているのです。…採用が欠員補充方式ですから、企業の中のすべてのポストが企業への「入口」になり得るので、企業外部の労働市場においてそのポストの「値段」が決められることになります。これを職務給といいます。
【感想】
海外のローカルの採用と言えば、つきものなのが"Job Description"。まさに「仕事の内容、範囲、権限、責任など」を明確に定めるものである。実務感覚に即している。
○仕事と対応しない賃金制度
p.85~86
これに対して日本では、…賃金も「仕事」を中心に決められるのではなく、「人」を中心に決められることになります。…
…「人」につけられた賃金の決め方がいわゆる年功賃金制といわれるものですが、それは一言で言えば、初任給プラス定期昇給という形で決められます。…日本では企業への入口は基本的に新規学卒就職時に限られる傾向にありますから、ほかの会社と比較可能な賃金水準というのは、基本的に新規学卒労働者の初任給に限られます。この初任給だけは、新卒労働市場という企業外部の条件の影響を強く受けて決められることになります。しかし、それ以降の賃金は、この初任給をベースにして、その上に企業内部の定期昇給という独自の条件を上積みしたものとして決定されていきます。
【感想】
労組役員として広義の賃上げに関わった経験からすると、若干違和感がある。「年功賃金制」という術語への違和を措くとしても、入社後の給与水準について、労組として特に拘りを持っていたのが「全産業平均に対して優位」ということと、「同業他社の賃金カーブとの隔たり」ということの2点であった。つまり、「企業外部の条件の影響を強く受けて決められる」のは、初任給に限ったことではない、ということ。ただし、「強く受けて」という記述に鑑みれば、やはり本書が正しいのかもしれない。また、「それ以降の賃金は、この初任給をベースにして、その上に企業内部の定期昇給という独自の条件を上積みしたもの」という記述は全面的に正しい。
○年功賃金制の発達
p.87
…定期昇給制…が中小企業も含めて広く適用されていくきっかけは、戦時体制下の賃金統制でした。初任給の額を統制し、内規に基づく昇給のみを認め、さらに男女別、年齢別による賃金統制も行われるようになったのです。
その背後にあった思想としては、…生活給思想が挙げられます。…家族を扶養する必要のない若年期には高給を与えても本人のためにならず、逆に家族を扶養する壮年期以降には家族を扶養するのに十分な額の賃金を払うようにすべき…
戦後、こうした賃金統制がすべて廃止されたにもかかわらず、労働組合の運動によって生活給思想はほとんどそのまま受け継がれました。…
…「職務遂行能力」というのは、実際に従事している具体的な職務とは切り離された、いかなる職務をも遂行しうる潜在能力を指します。ですから、メンバーシップ型の人事管理と極めて適合的なのです。これを職能資格制度に基づく職能給と呼びます。
【感想】
メンバーシップ型雇用制度と職能給との牽連性に係る説明が鮮やか。これに年齢給を加えて基本給とし、更に地域手当、扶養手当、別居手当、通勤手当などの属人的な諸手当を加えれば、年功賃金制の枠組みができあがる。
2.時間と空間の無限定
○労働時間は無限定
p.89~91
…メンバーシップ型雇用契約で限定されていないのは職務だけではなく、働く時間や空間も限定されていない…
…最高裁は、就業規則と三六協定がある限り、労働者は労働契約に定める労働時間を超えて労働する義務を負い、残業命令に従わない労働者を懲戒解雇しても構わないとお墨付きを出しているのです。
…極端な言い方をすれば、日本には物理的な意味での労働時間規制はほとんど存在せず、労働時間に関わる賃金規制があるだけだとすらいえるのです。
【感想】
本書は基本的に大学生でも読めると思うのだが、ときどき出てくる「三六協定」などの術語にとまどうかもしれない。必要に応じてgoogleを使いながら読むことが推奨されよう。
○いざというときのクッションとしての残業
○自分の仕事と他人の仕事のあいまいさ
p.92~93
…そもそも日本の職場では、ある一時点だけをとっても「あなたの仕事はこれこれ」というふうには明確には定まっていないのです。
…むしろ、個々の部署の業務全体が、人によって責任の濃淡をつけながらも、職場集団全体に帰属しているというのが普通の姿でしょう。自分の仕事と他人の仕事が明確に区別されていないのです。
…「社員」の辞書に、「それは私の仕事ではない」という言葉はないのです。
【感想】
この「明確に区別されていない」ということが、巷間日本人論に頻出する「自我の境界があいまいである」ということと相似形であるように感じる。
○転勤は拒否できない
p.93~94
配置転換という言葉には、職務を変更するという意味と勤務場所を変更するという意味の2種類があります。…後者、つまり空間的な異動に原則として制限がないというのも日本の特徴です。
【感想】
然り。ただし、コース別人事管理の下で、総合職については転勤無制限としているのに対し、一般職については原則として転勤させないとしているのもごく普通であろう。従って、本書は総合職を念頭においていると考えてよいのであろう。
それにしても、これらの「時間と空間の無限定」ということから、どうしても天皇制を想起してしまう。天皇制は、言ってしまえば時間の管理を元号で、空間の管理を空虚な中心で行おうとするものだと理解している。大掴みな日本的雇用慣行とは、天皇を会社に置き換えたものと言い得るのだろうか。
3.社内教育訓練でスキルアップ
○公的教育訓練中心の仕組み
p.95~96
…欧米諸国…労働者がその「仕事」のスキルをちゃんと身につけているということが採用の大前提になります。
では、労働者はどこでそのスキルを身につけるのか。採用される前なのですから、企業の外であることは間違いありません。
○社内教育訓練中心の仕組み
p.97~98
…日本社会では、…「人」が先にあり、その人にすぐできるとは限らない「仕事」を当てはめるというやり方ですから、その「仕事」のやり方を社内で学ぶという仕組みがなければ、うまく回っていきません。つまり、仕事に関する教育訓練の仕組みが、社内教育訓練中心の仕組みにならざるを得ないということです。
その教育訓練のやり方としては、…職場で上司や先輩の指導を受けながら実際に作業をやっていって、そのスキルを身につけるOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)というやり方があります。現在の日本では、…圧倒的にOJTが中心です。
…上司や先輩の仕事にある程度の時間の余裕がなければ、部下や後輩のOJTの面倒をきちんとみてあげられないということも起こりうるわけです。
【感想】
「上司や先輩の仕事にある程度の時間の余裕がなければ、部下や後輩のOJTの面倒をきちんとみてあげられない」→まさにその通り。一部正社員の負荷が大きくなりすぎ、教育訓練が疎かになってしまう、という職場もかなりあるのではないか。
○教育訓練としてのジョブローテーション
p.98~99
もう一つ重要なことは、…定期人事異動方式がOJTによるスキル習得と組み合わされることによって、さまざまな仕事のスキルを身につけていく仕組みになっているということです。これをジョブローテーションといいます。
社内教育訓練でスキルアップできるという仕組みは、それがうまく回っている限り、…企業の外側の教育訓練施設に通って、自前でコストを負担する必要がない、という点で、とりわけスキルのない若者にとっては、間違いなくメリットのある仕組みであったことは確かです。
【感想】
一方で、「自己啓発」の名の下に、OJTではない自己能力開発が求められている傾向があろう。
(追記:…と思ったら、第5章第3節p.183でちゃんと自己啓発についても触れられていました。ごめんなさい。)
4.リストラは周辺部と中高年から
○陰画としての非正規労働者
p.101
田中博秀氏が「新規学卒就職希望者は…ほぼ間違いなく全員が自分の就職先を見つけ出すことができるようになっている」と描写した時代においては、非正規労働者というのは、主に家事を行いながらそのかたわら家計補助的に就労する主婦パートか、主に通学して勉強しながら小遣い稼ぎ的に就労する学生アルバイトと相場が決まっていました。
彼らはその夫や父親の扶養家族であることが前提なので、生計費を恒常的に稼ぐ必要は基本的にないものと一般に思われていました。ですから、彼らに対する人事管理、賃金管理は会社の「メンバー」である「社員」たちに対するそれとは全く逆になります。彼らは、特定の具体的な「仕事」を定めて雇われます。多くの場合、それは単純労働的な仕事で、雇用契約は期間を定めたものであることが一般的です。
○日本型フレクシキュリティ
○リストラの標的としての中高年
p.107
ここでセニョリティという言葉が出てきました。…欧米でそれを解雇される順番(正確に言えば解雇されない順番)に用い、日本ではそれを職務とは切り離された賃金の決定に用いるわけです。
5.若者雇用政策の要らなかった社会
欧米では、学校を出たばかりのスキルもない若者は、欠員補充に応募しても経験豊富な中高年失業者にとられてしまい、仕事に就けずに失業するのが当たり前であるのに対して、日本では何の経験もスキルもない「まっさら」な人材であることがむしろ高く評価されて、「社員」として「入社」できるのが当たり前であったのです。
…だから、若者雇用政策などというものは存在する必要がなかったのです。…
スキルのない若者が大量に失業する欧米社会では、何よりも重要な政策は彼らが仕事に就けるように、その仕事に必要なスキルを付与することになります。つまり、若者雇用政策の中心は、何よりも公的な職業教育訓練を大々的に行い、できるだけ多くの若者が企業の欠員募集に応募したら採用されるようなスキルを身につけられるようにすること、…日本では、そのような政策は、もっとも不要とされました。
なぜなら、「入社」するためには下手な職業経験など積んでスキルを身につけているよりも、会社に入ってから上司や先輩の指導を受けながらOJTでスキルを身につけていけるような「いい素材」であることの方が遥かに重要だったからです。…
【第2章感想まとめ】
★定期昇給制度と職能給制度、これらと異なる職務給制度が背景も含め丁寧に説明されており、分かりやすかった。
★「時間と空間の無限定」については、実務感覚と合致する一方、ここで一般職についての説明があっても良かったかな、と思った。その説明では、一般職について、「家計維持者ではないとみなされ、かつ補助的な業務に従事するので、雇用は保証されるものの総合職よりも賃金が抑えられた不完全なメンバーシップの『社員』」とされるのだろうか。
(追記:…と思っていたら、第7章第3節「『一般職』からジョブ型正社員へ」の中で、一般職が肯定的にとらえ返されていました。ごめんなさい。)
★「社内教育訓練でスキルアップ」については、OJTがメンバーシップ型雇用からコロラリーとして導出されるという点の説明が鮮やか。
★「リストラは周辺部と中高年から」については、非常時にメンバーシップ型雇用契約の「社員」を守るため、職務に従事する者、即ち「メンバー」ではない非正規雇用者から雇止めが行われるという適示が明快。一方で、中高年労働者がリストラ策において主として標的とされるのは、「会社側からみれば極めて合理的な行動」という説明に首肯しつつ、中高年労働者側からみれば、後払いの賃金が支払われないという形で期待利益を剥奪する仕打ちであることも記されているとより良かった。
…続きは明日以降に。